論文発表のお知らせ

投稿者: | 2016年1月9日

「分子状水素が遺伝子発現を制御するメカニズムの解明」についての論文を発表しました。
この研究結果については、英国のNature出版社のOpen Access Online科学雑誌Scientific Reports 6, Article number 18971, 2016年1月7日に掲載されました。
www.nature.com/articles/srep18971(本論文は誰でも無料で読む事ができます)
本研究により、分子状水素の多彩な機能を発揮するメカニズムが解明されたので、分子状水素の医療への適用を促進することが期待されます。また、今回の発見は、新しい概念を提出するものであり、分子状水素の機能を発揮する詳細なメカニズムの研究を推進する手がかりになることが期待されます。
水素の多彩な疾患への効果
分子状水素が遺伝子発現を制御するメカニズムの解明
要旨
日本医科大学大学院医学研究科細胞生物学分野の太田成男教授グループは、分子状水素(H2:以下「水素」という)がフリーラジカル連鎖反応に介入し酸化脂質メディエーターを改変することで遺伝子発現制御を行うことを解明しました。
2007年に太田成男教授らは、水素には新しい概念の抗酸化作用があることをはじめて示し、将来の医療に適用可能であることを提唱しました。現在、これらの基礎医学の研究を基盤として、臨床研究が精力的に行われています。その後、抗酸化作用だけでなく、炎症抑制効果、アレルギー抑制効果、細胞死抑制効果、エネルギー代謝促進効果など多様な効果を示す事が明らかにされました。これらの効果は、水素が様々な遺伝子発現を制御することによって生じることが明らかにされましたが、どのようにして遺伝子発現を制御するのかは謎として残されたままでした。
生体膜に多く含まれる不飽和脂肪酸の一種のリン脂質(PAPC:1-パルミトイル-2-アラキドノイル-sn-グリセロ-3-ホスファチジルコリン) がフリーラジカル連鎖反応で酸化されると遺伝子発現制御を行う様々なメディエーターを生じることが明らかにされていましたので、本研究ではPAPCに注目しました。精製されたPAPCをフリーラジカル連鎖反応によって化学的に酸化するときに、1.3%以上の水素を存在させるだけで、酸化PAPCによる培養細胞への細胞内情報伝達を担うカルシウムの流入が低下しました。さらに、網羅的遺伝子発現解析によって、水素存在下で酸化されたPAPCは様々な遺伝子発現を変化させることを明らかにしました。とくに、NFATと呼ばれる転写因子の活性を低下させ、様々な遺伝子発現を制御しうることを明らかにしました。
さらに、培養細胞でフリーラジカル連鎖反応を人為的に生じさせる時に、水素濃度が1.3%以上存在する場合には、カルシウムの流入の低下とそれに伴うNFATの活性の低下が認められました。これは、上記化学反応によるフリーラジカル連鎖反応によるPAPCの改変による結果と一致していますので、細胞内でも上記の反応が生じていることを示唆します。
水素は、不活性であるが故に、酸化ストレスがないときは効果を発揮しませんが、フリーラジカル連鎖反応が亢進しているときのみに、効果を発揮することが示唆されました。このメカニズムの解明によって、従来説明できなかった水素の効果の多くが説明できるようになりました。
本研究は、英国のNature出版社のOpen Access Online科学雑誌「Scientific Reports 6, Article number 18971 2016年1月7日」に掲載されました。
www.nature.com/articles/srep18971(本論文は誰でも無料で読む事ができます)
遺伝子発現を行うメカニズムのモデル
原論文情報
Katsuya Iuchi, Akemi Imoto, Naomi Kamimura, Kiyomi Nishimaki, Harumi Ichmiya, Takashi Yokota, & Shigeo Ohta. Molecular hydrogen regulates gene expression by modifying the free radical chain reaction-dependent generation of oxidized phospholipid mediators. Scientific Reports (2016) 6, 18971. (www.nature.com/articles/srep18971)
井内勝哉、井本明美、上村尚美、西槙貴代美、一宮治美、横田隆、太田成男。分子状水素はフリーラジカル連鎖反応に介入して酸化脂質メディエーターを改変することを介して遺伝子発現を制御する。Scientific Reports (2016) 6, 18971.

より詳細な説明
1. 背景
本来、分子状水素(以下、「水素」という)は、不活性ガスとして認識されており、ほ乳類細胞では機能がないと信じられてきました。2007年に私たち本学太田成男教授グループは、水素は酸化力の強い活性酸素のみを消去し、酸化ストレスから細胞を保護し、虚血再灌流障害から組織を護ることを示し、Nature Medicine(2007; 13: 688-694)に論文を発表しました。
その後、水素には抗酸化作用に留まらず、炎症抑制効果、アレルギー抑制効果、細胞死抑制効果、エネルギー代謝促進効果があることが示されました。その効果を発揮するためには、水素は、細胞内情報伝達機構を変化させ、遺伝子発現制御をすることも明らかにされました。
そのような多彩な機能を水素はもち、さらに非常に効果的に疾患モデル動物を改善することが示され、現在は人を対象とした臨床試験が精力的に行われています。
現在までに、動物実験では350報程度、人を対象とした臨床試験の論文が20報程度報告され、水素の効果はゆるぎないものとなっています。また、最近は動物のみならず、植物への効果も明らかにされ、農業革命にも貢献しそうです。
水素は、水素ガスを吸引したり、水素を溶かした水(水素水)を飲んだり、水素を含む点滴液を注入するなど、用途に応じた摂取方が可能です。
しかし、水素は基本的には触媒がないと反応を示さない分子であり、いかにして細胞内情報伝達機構を制御するのか、遺伝子発現を制御するのかは、全く未知の課題でした。また、水素ガスの吸引においては、1.3%程度の低い濃度で効果を発揮し、水素水に含まれる少ない量の水素で効果を発揮するのも謎でした。
2005年に水素の研究を始めましたが、水素の効果は酸化力の強い活性酸素を消去することだけでは説明できず、長年頭を悩ましてきました。本論文では、水素がフリーラジカル連鎖反応に介入し酸化脂質メディエーターを改変することで遺伝子発現を制御することを明らかにし、水素が多彩な機能を発揮するメカニズムの一端が解明されたと考えています。

2. 結果
(1)水素が機能を発揮する部位
水素が酸化力の強いヒドロキシルラジカルを消去する場合でも、水溶液中では非常に遅いことが報告されています。そこで、水素の効果を発揮する場所は、脂質中ではないかと推論し、脂質と水溶液への水素の溶解度を調べると、水素は相対的に脂質に溶解することがわかりました。
さらに、不飽和脂肪酸を含む脂質からは相対的に離れにくいことを明らかにしました。

(2)水素の多価不飽和脂肪酸のフリーラジカル連鎖反応への介入
そこで、多価不飽和脂肪酸への水素の反応に注目しました。もっとも小さい多価不飽和脂肪酸であるリノール酸は空気酸化によって過酸化物を生じます。このプロセスは、フリーラジカル連鎖反応によることが知られています。
水素が1%程度存在するだけで、リノール酸の過酸化反応は体温レベルでも触媒なしに低下しました。

(3)水素のリン脂質のフリーラジカル連鎖反応への介入と脂質メディエーターの改変
生体膜で多く含まれる多価脂肪酸を含むリン脂質に1-パルミトイル-2-アラキドノイル-sn-グリセロ-3-ホスファチジルコリン(PAPC)があります。PAPCは空気酸化(フリーラジカル連鎖反応)によって、脂質メディエーターを作り出すことが報告されています。そこで、水素存在下で、PAPCを空気酸化させ、酸化させたPAPCを培養細胞(モノサイト系)に加えて、細胞内のカルシウムの上昇を測定しました。すると、酸化PAPCでは、カルシウムの細胞内上昇が見られましたが、水素1.3%以上の存在下で酸化したPAPCではカルシウムの細胞内上昇が抑えられました。
カルシウムの上昇を亢進する脂質メディエーターが水素のよって低下したのか、カルシウムの上昇を抑制する脂質メディエーターが水素によって増加したのかは明確にはなっていません。しかし、水素が1.3%以上存在するだけで、メディエーターに何らかの変化をもたらしたことは確実です。
質量分析器で網羅的に解析した結果では、カルシウムの上昇を促進するメディエーターは水素によって増加しなかったので、カルシウムの上昇を抑制する新規メディエータイが水素存在下で生成したものと推測されます。現在、この新規メディエーターの解析をすすめています。

(4)酸化PAPCによる遺伝子発現制御
空気酸化したPAPCと水素存在下で空気酸化したPAPCを培養細胞に加えることによって、変化する遺伝子発現変化をすべての遺伝子において網羅的に解析しました。すなわち、酸化PAPCによって発現が上昇し、水素存在下で酸化したPAPCによって発現が下降した遺伝子を86遺伝子選択すると、細胞内情報伝達に関与する遺伝子が多数含まれていました。なかでも、カルシウムによって活性化するNFATとCREBという転写因子によって発現制御される遺伝子が含まれていました。
カルシウムは、Calcineurin(脱リン酸化酵素)とcalmodulin-dependent kinase(リン酸化酵素)をそれぞれ通じて活性化し、NFATとCREBを活性化させますので、水素によってNFATとCREBの活性が低下するのは合理的です。また、実際に酸化PAPCによって、NFATが活性化し、水素存在下の酸化PAPCではNFATの活性が抑制することを確認しました。
なかでも、TNFやIL-8などの炎症性サイトカイン、炎症に関与するPTGS2(COXII)が水素によって低下したので、水素によって炎症を抑制するメカニズムが理解できます。
また、血管縮小に関与するエンドセリンが水素によって低下することから、水素の血管拡張効果も説明できます。
水素は不活性ガス分子なので、触媒がないと反応性を示しませんが、フリーラジカル連鎖反応が進行している不飽和脂肪酸を含む脂質の過酸化反応に介入し、酸化脂質メディエーターを改変し、遺伝子発現を制御すると考えられます。

(5)培養細胞における水素の効果
培養細胞において同様の効果を示すために、ヒト培養細胞(THP-1)を使って、水素の効果を調べました。人為的にフリーラジカル連鎖反応を起こすためにAAPH加えフリーラジカル連鎖反応を引きこしました。水素が1.3%以上存在するときに、フリーラジカル連鎖反応は抑制されました。
また、AAPH存在下では、カルシウムの細胞内に上昇し、水素の存在下で抑制されました。同時にNFATの活性も水素によって抑制されました。また、NFATにより転写される遺伝子の発現もAAPHによって上昇し、水素のよって下降しました。
これらの結果は、上記の空気酸化によりPAPCをフリーラジカル連鎖反応で酸化させた結果と一致していました。

(6)水素による遺伝子制御機構
以上の結果より、基本的な概念として以下のメカニズムを提唱しました。
(a) 水素が存在しない時(何らかの病態時)
細胞内で何らかの異常が生じると活性酸素が発生して脂質フリーラジカル連鎖反応が生じる。それによって、脂質メディエーターが生じて、G−タンパク共役レセプターなどに結合し、カルシウムチャンネルが開く。カルシウムの上昇によって、カリシニューリンを活化し、脱リン酸化されたNFATが核へ移行し、炎症性因子など遺伝子を転写して、炎症を継続させる。
(b) 水素が存在する時(何らかの病態時)
水素が存在すると、細胞内で何らかの異常が生じて発生した活性酸素による脂質フリーラジカル連鎖反応を変化させる。何らかのメディエーターがG−タンパク共役レセプターなどに結合し、逆にカルシウムチャンネルの開くのを抑制する。そのため、炎症性因子など遺伝子の転写を停止して、過剰な炎症を鎮める。
(c) 酸化ストレスがないとき、またはなくなったとき
活性酸素が引き金となる脂質フリーラジカル連鎖反応がないので、水素の効果は発揮しない。病的状態から健常時になったときも、同様に水素の効果はないので、過度の水素の効果は生じない。

3. 今後の期待 too good!のわけ
水素が1.3%という極めて低濃度の水素ガスの吸引によって効果を発揮するメカニズムが解明されました。1.3%の水素ガス濃度は爆発限界以下ですので、安全に使用可能です。水素を医薬品または発生装置を医療器具として認可を得るためには、分子機構の解明が必須ですので、メカニズムの解明は非常に重要な意味をもちます。また、水素水を飲んだ場合には、水素ガスの1.3%吸引以上の体内の水素濃度となるので、水素水を飲んだときの効果も説明できます。
また、本研究では、水素は様々な遺伝子発現の制御をしますが、特に明確になったのは、NFATという転写因子の活性低下です。NFATの活性を低下させる医薬品にサイクロスポリンAなどがありますが、これらは免疫抑制剤として使われています。水素は免疫抑制剤に似た効果を示すメカニズムが謎として残されていましたので、今後は水素を免疫抑制剤の一部として使用できる可能性も生じてきました。また、NFATは、がん、アルツハイマー病、パーキンソン病、高血圧、骨粗鬆症、心筋肥大との関係が注目されている転写因子ですので、NFATを通じて水素の多彩な効果を説明することが可能で、水素の応用面も大きくなると期待されます。
もうひとつ、重要な点は、フリーラジカル連鎖反応が生じているときだけ、水素が作用するということです。フリーラジカル連載反応が生じているのは、何らかの病態があるときで、フリーラジカル連鎖反応が生じているときだけ、水素が作用するということは、悪い部位に悪い時だけ効果を発揮するということを示唆しています。従来の医薬品は、過剰な効果を発揮してしまうため、副作用が生じるわけですが、水素の場合は正常になると(フリーラジカル連鎖反応がなくなると)効果を発揮しないので、副作用がない医薬品の開発に新しい概念を提出したということもできます。

[用語の解説]
分子状水素:化学式はH2。いわゆる水素ガスで、1気圧では水に1.6ppm(0.8mM)溶解する。分子状水素を溶かした水は、H2のまま溶けておりイオン化しない。これを、水素水という。
脂質フリーラジカル連鎖反応:フリーラジカルが細胞膜中の脂質から電子を奪い、フリーラジカルの連鎖反応のメカニズムによって進行する。多価不飽和脂肪酸は特に反応性の高い水素を有するメチレン基に挟まれた複数の二重結合を有しているため、脂質過酸化反応は、通常、多価不飽和脂肪酸によって生じる。
脂質メディエーター:脂質メディエーターは生物活性(生理作用)を持つ脂質である。特に細胞外に放出され、他の細胞の細胞膜受容体に結合することによって作用する分子を指すことが多い。プロスタグランジン、ロイコトリエン、血小板活性化因子 (PAF)、内因性カンナビノイド、リゾホスファチジン酸、スフィンゴシン-1-リン酸などがその例である。
網羅的遺伝子発現解析:DNAマイクロアレイはDNAチップとも呼ばれ、細胞内の遺伝子発現量を測定するために、多数のDNA断片をプラスチックやガラス等の基板上に高密度に配置し、多数の遺伝子量を一度に計測する。これに検体を反応させれば、検体のDNA配列と相補的な塩基配列の部分にのみ検体のDNA鎖が結合する。結合位置を蛍光によって検出し、最初の配置から検体に含まれるDNA配列を知る事が出来る。遺伝子発現を調べるときには、mRNAをcDNAに変換する。
NFAT: (Nuclear factor of activated T-cells)転写因子の一つで、カルシウムに依存してカルシニューリンによって、脱リン酸化される。脱リン酸化されたNFATは、核に移行し転写因子として機能する。炎症性サイトカインなどの遺伝子を転写する。最近は、非常にがん、アルツハイマー、高血圧、心肥大、骨粗鬆症との関連で注目されている。
カルシニューリン:カルシニューリン(Calcineurin:CN)は細胞内シグナル伝達に関与するプロテインホスファターゼの一種で、一部の免疫抑制剤の標的であることが明らかにされている。これをきっかけに免疫系で重要な役割を果たすことが知られた。
AAPH:2,2′-Azobis(2-methylpropionamidine) Dihydrochloride。自然開裂によって、脂質アルコキシルラジカルを発生し、脂質フリーラジカル連鎖反応を開始する。